行々として円寂に入る

 空海は、『般若心経』の「掲諦掲諦」を

 

「行々として円寂に入る」と訳されたそうです。

迷いの彼岸から、悟りの彼岸へ行くこと。

 

高神覚昇氏は、『般若心経講義』の中に

 

「自覚、他覚、覚行円満」

自ら覚り、他を覚らしめ、覚の行が完成した。

と解釈されている。

 

この1週間、ほんとうにたくさんの方々とお話させて頂きました。

 

私たちは、人と話すとき、言葉を聴きながら、実は、その人が纏ったものを読んでいる。

表情と表情の間にふっと表れるその人。言葉と言葉の間。リズム。

 

煩悩に溢れた中にいると、つい忘れてしまう。

 

「行々として円寂に入る」

 

今日の午後は、静かに読んだり書いたり、瞑想したりしています。

静まる時間はとても大事。